『月光のレクレイム』June 10. 2007

 

コンビニの袋とスナック菓子の袋が風に舞いペットボトルが転がっている公園。来る道際には犬の糞とタバコの吸殻、アルミ缶が散在していた。人生に無くても良い物ばかりが溢れ、経済成長が社会の目標となってしまった現代、企業も人も全てが利潤の増大を永遠に追い続ける。そして生産は止められず消費は正当化され過剰となる。経営者は被雇用者に対する雇用責任を失い、安易に為替格差による低賃金労力のみを求め始めた。格差は世界中に蔓延し、絶対正義が跋扈し始めた。自分だけは被害者にならないと言う変な自身が勝ち組に繁殖し、他を思いやる心は萎え果てようとしている。

弱いものいじめ、ホームレス狩り、親父狩り、そして、友人殺し、幼子殺し、親殺し、子殺し、恋人殺し、伴侶殺し、といとも安くに人の命を奪うものである。殺しあうが良いのだ、一遍のマナーも無い社会には殺し合いこそお似合いであるのだから。

 

涼児が小学6年の折中学受験の相談を重ねていた美しい母は美貌の教師と不倫に陥り駆け落ちしてしまった。ごく普通のまじめに働く良き夫であった父は母を追って家を出、やがて二人を見つけ殺害し、自らも命を絶ってしまった。孤児になってしまった涼児は亡くなった不倫相手の教師の妻、悠美の元に引き取られる。教師の妻は敬虔なクリスチャンであった。突然にして良き夫を失ってしまった妻は孤児となってしまった涼児に同情し、何が自分にいたらなかったのか、何ゆえの罪か悩みながら、全てを己が罪故と考え、その贖罪として涼児を育て上げる決心をした。悠美には涼児と一つ年上の美しい娘、瑠那がいた。涼児は教師の妻の家庭で温かく迎えられ、瑠那と本当の兄弟の如く仲良く幸せに暮らしているように見えた。

しかし、涼児の心に育まれた情念はただ己が宿業を育て上げていた。

 母は不義に駆け落ちし、父は母と不倫相手を殺害し自殺。不倫相手のクリスチャンの妻に引き取られ他その境遇を、偽善の愛の帰結としか見出せなかったのだ。

 

  

我は不義の子

責めるは己が不実に言え。人を省みず、弱きものを見捨て無視した報いを受けるがいい。

見せてやろう、どれ程の人数を殺せるか、無意味慈悲に。

我が代わろう手鎖の罪人よ、汝の情念の行く末を、我が成し遂げん。人の世に在って尚、助け合わず、押しのけ合い、互いを見捨てた報いを知らしめよう。

人は生きる目的も価値も見出さず、ただ己が利欲のままに生きる世に、何が慈悲の、正義が要るものか。自由競争資本主義経済という文明社会と、野に在る生と一体何の違いがあるというのだろうか?競い争い合うこの世、弱肉強食の戦いの世にあって、何の正義か、直接的か間接的かの差異以外何の違いも無いのだ。神も無く、正義も無く、獣となって欲し、貪ろう。

ただ殺すために生き、無意味に死のう、何の後悔も無く、恐れも無く。

犯罪者にこそ共感を持ち、偽善の母を陵辱し、己が姉妹をも、

 

義母よ若し貴女が泣き叫び、怯え、怒り、悶えたなら、私はむしろ救われたことだろう。あなたの愛は神の愛の反射、月の光の如くただ冷たく光、注ぐだけで決してこの身は温まることは無かったのだ。

 

醜きもの、愚鈍なもの、弱きものは、悪しきものは永らえぬのか?ハイエナ、ゲジゲジ、ゴキブリ、ナメクジ、ドクヘビ、は悲しからずや?